発表要旨

シンポジウム:「わたし(たち)は再現可能性をいかに考えるか」

草薙・鬼田・亘理(2021)と再び追及姿勢の擁護(草薙邦広:県立広島大学)

 本発表では,外国語教育研究の再現可能性に関する展望論文である「外国語教育研究の再現可能性:素朴な認識の拒絶と追求姿勢の擁護」(草薙・鬼田・亘理,2021)の概要を紹介する。当該論文では,再現可能性の議論が進まない理由として,2つの異なる態度があるとする。1つは「外国語教育研究は再現可能性の点で優れている」とする素朴な認識である。もう1つの態度は再現可能性の追求を否定する態度である。これらのうち,前者の認識を一切拒絶するものの,同時に再現可能性を追求する姿勢を妥当とみなす機能主義的かつプラグマティックな見方を提示している。さらに,(a)外国語教育に関するコミュニケーションとコミュニティ,(b)再現可能性という用語の多義性といった観点を踏まえながら,再び再現可能性を追求する姿勢を擁護する。 [投影資料ダウンロード] [原稿ダウンロード]


教育実践を科学的に再現可能な操作と認識することは、実践と科学の両方を損なう(柳瀬陽介・京都大学)

 本稿は、教育実践を自然科学的な意味で「再現可能」な操作と認識することは、実践と科学の両方の営みを歪めてしまうことを4段階で論証し、外国語教育研究は人文・社会的な論考法を発展させるべきだと主張します。第1に、発表者の実践を簡単に紹介し、実践者の思考法と実験研究者の思考法の類似点と相違点を示します(ショーン)。 第2に、教育実践は、以下の点で、再現可能性を追求できるような科学的営みではないことを説明します。(1)複合性:関与する多くの相互作用が複雑すぎるため、単一あるいは少数の要因の有無により現象が再現するとは限らない(複雑性の理論)。(2)意味解釈:実践者のことばの意味には、さまざまな可能性が含まれるため、厳密な意味の同定が期待できない(ルーマン)。(3)実践者が獲得する知識・技能は、その人の人生がかかった人格的なものであり、無人格的な知識・技能として定義・伝達できるものではない(ポラニー)。(4)物語様式:実践者は、複数の人間の異なる認識と行動が同時並行的に共存するポリフォニー構造の中で思考し行為しているので、そもそも単一の視点だけから観察をする科学規範様式では実践の錯綜性が捉えられない(ブルーナー)。第3に、実践を科学化しようとする衝動の背景には、"publish or perish"といった社会的要因だけでなく、ことばを哲学的に誤用することにより、理想やモデルを現実と混同してしまう私たちの知的傾向があることを説明します(ウィトゲンシュタイン)。第4に、以上述べた理由にもかかわらず実践をあくまでも再現可能性を求めるべき操作と認識して行動する者は、現実対応が下手になることを述べます(神田橋)。そのように偏った実践を基に科学を構築しようとすることは「鳥に飛び方を教える」ようなものであり(タレブ)、科学の過剰適用(科学主義)です。以上の理由で、本発表者は、外国語教育研究は再現可能性を求めるべきとは考えません。外国語教育研究は、複合性・意味・人格性・物語といった特徴を前提とした論考の様式を発展させるべきです。[投影資料ダウンロード] [柳瀬先生のウェブサイトへ]


外国語教育研究者のコミュニケーションの方法を再考する(奥住桂・帝京大学)

 「外国教育研究の再現可能性」を、主に学校現場で教育実践に取り組む英語教師の視点から検討しようと考えると、単に「研究者同士のコミュニケーション」のためにだけではなく、研究者―実践者(英語教師)間のコミュニケーションを考える必要がある。また、英語教育に関するデータが持つ社会的影響力を考えると、研究者―社会(一般市民・マスメディア)間のコミュニケーションも無視できない。そのような視点で考えると、本発表者は草薙・鬼田・亘理 (2021)の主張に概ね賛成である。その上で、研究者に今以上に求められる努力として、主に以下の3つのことを提案したい。1つめは、専門用語の定義の共有である。これは再現可能性を追求する過程で適切に「規格化・標準化」されていくことを期待したいが、それを待つだけでなく積極的に用語を整理・分類していくことも必要であろう。これは質的研究についても同様である。2つめは、外国語教育研究の結果を考察する上で、存在しうる「ノイズ」について、積極的に語るべきである。教室で起こるすべてのことを数値化することは無理だとしても、可能な限り記述として残していく技術が広く共有されて欲しい。(これも質的研究の知見が役立つはずである)。3つめは、外国語教育研究の成果を伝える場所と方法をより多様性のある姿にしていくことである。その意味では、研究者の業績として多様な形態の発表方法も評価されるべきであるし、学会自体も新たな知見の集め方、見せ方を今後検討していくべきであると考える。 [投影資料ダウンロード]

自由研究発表

①社会学と「同解釈を導く研究結果が得られる可能性」(寺沢拓敬・関西学院大学)

 (言語教育の)社会学者の立場から、外国語教育研究において同じ分析結果が得られないことは何を意味するのか論じたい。社会学が取り扱う現象は、教室内現象と同程度かそれ以上に、個人・集団・研究文脈の同質性を前提にせず、むしろその現象の固有性・一回性を重視する。したがって、「分析の結果として同じ数値が出力される可能性」(注、「再現可能性」は用法がひどく混乱しているので使わない)がそもそも期待されないのは当然として、「同解釈を導く研究結果が得られる可能性」すらもしばしば重視されない。では、バラバラな知見が生まれたとき、ただそれをバラバラのまま受容しているのかと言えば、当然ながら、そのようなことはなく、統合的に説明するための様々な学問的努力が積み重ねられている。本報告では、とくに、理論化と方法論的洗練化に焦点をあてて議論したい。 [投影資料ダウンロード]


②教育研究におけるQRPsの実態と解決策:理科教育分野における事例の紹介(中村 大輝・広島大学大学院)

 近年,教育学を含む多くの学問分野において過去の研究知見が再現されないという再現性の危機が問題となっており,その原因の1つとして問題のある研究実践(QRPs)の存在が指摘されている。Makel et al. (2021) の調査によれば,教育研究者の半数以上がp-hackingなどのQRPsを経験しており,国内の教育分野も例外ではないだろう。本発表では,中村ら(2021)をもとに国内の理科教育分野におけるQRPsの実態を報告した上で,それらを防止するための取り組みとして,「追試の積極的な実施」「適切な研究方法の普及」「事前登録制度の導入」「オープンサイエンスの推進」の4つを提案する。 [投影資料ダウンロード]


③大規模調査の結果は再現可能か(金丸敏幸・京都大学)

 本研究では,大学の全学規模で実施された複数年にわたる外部英語運用能力試験の結果をもとに内的妥当性と外的妥当性について議論を行う。大規模調査の場合,分析の前提となる変数の定義が容易ではないため内的妥当性を確認することは困難である一方,調査対象の数が多いことにより外的妥当性は保証されやすい傾向にあることを示す。大規模調査の結果を分析する場合の統計処理上の問題点や制度上の障害についても合わせて紹介する。


④構成概念の射程と測定方法から考える再現可能性(徳岡大・高松大学)

 本発表では,構成概念の射程や測定方法という点から再現可能性について考察する。心理学領域では,毎年様々な概念が提案され,心理尺度化されている一方で,たびたび「構成概念の乱立」が問題として指摘されている。こうした問題は,外国語教育研究においてはどのように考えられるか,さらに構成概念の乱立が再現可能性に及ぼす影響を検討する。新たな構成概念は,どのような検証を行うことで正当化できるのかについて,外国語教育研究における動機づけ研究を題材としながら考察する。[投影資料ダウンロード]


⑤第二言語観察研究における状況依存性(村上明・バーミンガム大学)

 本発表では(学習者)コーパス等に基づく観察研究は状況依存性が高く、追試が失敗する理由はQRP等の研究手法上の問題に加え、(暗に)異なる母集団を対象としている可能性が高いからである旨を実例を挙げながら述べる。またそのため実証研究では(1)著者が意図している一般化の射程を示すことと(2)一般化を意図している変数(被験者、英作文のトピック、学習者の母語など)から適切にサンプリングを行うことが重要である旨を示す。[投影資料ダウンロード]